⑰~一期生・佐藤瑞穂さん

「彩りある地域文化は自らの手で打ち上げる」

<町の中が遊び場>

生まれは、小千谷市片貝町です。三人兄弟の末っ子で、上は兄貴、真ん中に姉がいるんです。上が5歳で、真ん中は2歳違いますね。

片貝の町の中に一つだけ保育園があって、自分たちが初めて1クラスになった学年で、保育園から中3までずっと37人一緒っていう。全部一貫で育ちました。ちっちゃい頃はスポーツ全般好きだったんで、よく外で遊んでましたね。小学校がほんとに目の前なんで、片貝小学校のグラウンドが公園みたいな感じで、野球したりサッカーしたり。町中でかくれんぼしたり。幸せな子ども時代を過ごしまして。

<祭り文化の中で育つ>

 片貝と言えば花火ですけど、祭りに関しての記憶は小1くらいからですかね。お囃子をする兄貴たちについてって、ふるまいのみそ汁を飲んだ記憶があります。ほんとに方言丸出しというか、おらとか言ってたかな。ここんちのみそ汁うんめぇのぉ、みたいな。ちっちゃい頃は、桟敷で花火を見た記憶も。でも、花火っていうより祭りですよね。人と一緒に騒いでる賑やかな感じが好きだったですかね。当たり前なんで、あんまり意識して記憶にとどめてないんじゃないかな。参加してたって感じなんでね。

 当時の祭りの雰囲気は違いますね。人も多かったんでね。若い人の楽園って感じでした。だいたい18歳から25歳までの人たちがこの片貝の若ってことでやるんですけど、ものすごい大人に見えましたね。

 自分が生まれたときの平成5年の番付を見ると、じいちゃんの名前で花火を上げてもらったりしてて。丈夫に育ってください、みたいな。江戸時代から、こういう誰が上げた、何を上げたっていうのが記録で番付になってて。個人情報を共有するっていうか。新潟はほとんどこういう文化で、たまたま片貝がすごい古いのが残った。続いてるっていう意味では珍しいですね、古い文化として。今のいわゆる花火大会のプログラムとは違うんですよ。時間でこういう演出をしますみたいなのが一般的だと思うんですけど、新潟って元々は誰々さんの花火みたいな、作った人が上げてたんで。だから花火大会なんですよ、色んなプログラムが集まって、エントリーしてる人たちがいるから、大会なんです。競技会みたいな。

<文学にのめり込んだ高校時代>

 父親が先生で結構本を持ってたんで、手を伸ばせば読める環境にあったんだろうな。高校生のときかな、文学、哲学の世界にね。倫理が好きでしてね。あと、現代社会、現代文。意味分かんない文章を読むのにはまった時期があって、分からないほどいいみたいなのが。高校も個人主義の時代で、自分の趣味って感じだったから、同級生なんかこんな話合わないし、あんまり話す人がいなくて。友達はいたんですけど、ちょっとマニアックな方向に高校、大学で行ってしまいましたね。京都の大学に決まったときに、記念で親から岩波文庫の主要なものをほとんど全部もらって。引っ越しが大変でしたよね。高校のとき、世界の名著とか読んでましたよ。カントとかね。

 部活は軽音部ですね。バンドがしたくて行った。姉も同じ高校行って軽音部入ってたんで、あっ、いいなって。中学生ながらライブとか行ってみると、すごい大人っぽいんですよね。

<文化の町・京都へ>

 そのあと大学で京都へ。関東はみんな行くからやだな、みたいな感覚ですね。斜めに構えるので。中学校の修学旅行で京都に行くんですけど、文化的な感じがね、いいじゃないですか。消費文化みたいなのが嫌いな時期があって、観光で行くよりも、4年間住む方が絶対に価値あるなと思って。やっぱ住みたいなっていう感じで。

 本の虫というか、しっかり勉強してて、新潟に帰って文化的な側面から盛り上げたいな、みたいな話をしてて。でも、就活はしてなくて。やっぱね、作家とかね、アーティストみたいなものになりたいなって感じでしたね。自分でものを作りたい。音楽なのか文章なのか。高校から、本読むのと同時に書くのも始めて。短歌とか、論文みたいなのも書いてましたね。小学生のときから作文は好きで、詩も書いてた。2年生のときに、料理をした詩を書いて先生にちょっと褒められて、それで調子に乗って今がありますね。

<本の町から再び新潟へ>

 大学を卒業してすぐに、浅草に行きましてね。浅草に住んで、神田神保町にアルバイトに行きましたね。作家になろうっていうか、自分の名前で物を作りたいなと思ったから。2年くらいはそういう生活をしようと思って、何も決めずに東京。で、本の町に修行に行こうと思って、飛び込みで雇っていただいたって感じです。行きたいなと思って行ったらアルバイト募集のチラシが出てて。本を読んでると出てくるから、神保町はね。ここは日本一の本の町だと。めちゃくちゃ嬉しくて。文化的なものは親の影響があったんでね、それを善しとするというか。だから、ダメとは言われなかったですね。父ちゃんも大学のときに、短歌の会に入ってたことがあったみたいで。まぁ、気持ちは分かる。お金になんないけど、でもそれも大事だよ、って。

 仕事はこれも変な話で、ちゃんと働いてなくて。週に3回とか。創作活動の方を大事にしてたんで。稼いでなかったですね。結果的に3ヶ月で終わるんですけど、そういう生活は。辞めた理由は、片貝まつりですよね。当日だけ参加しようみたいなつもりだったんですけど、2個上の姉が町の代表できないから2年早いけど先にやってください、みたいなお願いがあって、じゃあやります、ってことで。同級生が浅草にいて、やっぱ地元のことを話すわけ。地域づくり団体を作ろうって。彼もね、よく分かんない夢を東京で追うより、求められてる地元で活動をして夢を実現しようという感じで戻ってきました。2015年ですね。だから、結果としてよかったのかな、今思うとね。本屋さんには、地元帰ります、祭りです、すんませんでした、短すぎてごめんなさいって。

 ちょうど大地の芸術祭が2015年開催中だったので、片貝まつりの準備をしながら受付をしてました、アルバイトで。だいたい夜は準備なんで、昼間はスタンプを押して。東京から来て、片貝住みながら十日町、長岡、でやっと小千谷になって、段々と近づいてる。

<地域活動を通して生き方を表現>

 鍬とスコップっていう名前で同級生と地域づくり団体を始めて、今ここに至ってますけど、やっぱ自分で自分の生き方とか考え方とかを作品というか形にしていくみたいな、そういう仕事としては一貫してるつもりではいて。それは本とか文字である場合もあるし、行動とか事業とかいうパターンもあるし。だから人から見ると紆余曲折はしてるんですけど、割とやりたいことはまっすぐ来てるかな、と。

 鍬スコの最初の活動は、ゲストハウスですね。うちの2階が空いて、お掃除するところから始まって。Air bnbにも登録して。東京五輪前でね、民泊の法改正した直後で。面白いのは、一対一でできるところ。友達感覚になる場合がありますね。ホストと会えるんでね。兄と姉が大学生の頃、教授とか友達とかが片貝まつりに来る。そしたらもうゲストハウス状態になって。片貝って、一軒も宿がないからまつりのときにいつも大混乱でね。だからチャンスでもあり、ゲストハウスやったらいいじゃん、みたいな感じですよね。始めたのは2017年。コロナを挟んで2年くらい休んでたんですけどね。

<多彩な地域活動>

 映像系の仕事もしてました。観光系の映像。この前の片貝まつりも、コロナ禍でできなかった行事もあったんで、自分で撮っとこうと思って。何でもやるって感じかな。メディアスクールも、その流れがありますね。たまたま新聞記者と映像クリエイターとラジオリポーターが若い世代で小千谷にいるんで、講師になって。メディア業界面白いよ、みたいな。祭り期間の1ヶ月間、たまに集まって小千谷まつりに参加する。体験取材って感じですね。参加者は、高校生と若者、7人くらいで。意外と地域との接点ないんでね、高校生って。学校と家しか分かんなくて。だから学校の外で地域とつながる機会を作りたいってなったときに、祭りの取材から、お手伝いから入るっていう。

 他には、人力車。ちょっと前から人力車をやりたいなとは思ってたんですよ。若い世代からもここの活用を考えて欲しいってことで、小千谷で一番でかい家ですけど、西脇邸にお邪魔したら、明治時代の人力車があって。ボロボロで使えないんですけど、車夫がいて、西脇の旦那様が使ったんだよ、と。今あったら面白いなって。自分も、あったものをやるみたいな発想が結構得意な方だから。たまたま安いのがネットで出てて、金沢まで取りに行った。まだちゃんと商売って感じでやってないんですけど、アトラクションとしてはかなり面白いですね。山と相性すごくいいと思います。案内するわけじゃないんですよ。写真撮るだけでも、いつもと違う景色になるから。芸ですね、人力車芸。

<温めたアイデアがさんビズに変化>

自分は結構アイデアは多い方で、いつも結構色んなアイデアを温めてますね。名前が浮かぶって言うか、企画の名前が出て来て。ネーミングから入るもんで、全部。予算とかないわけですけど。言葉の領域の方でいきたいと思って。あんまりふり返ったり検証とかしてないから、やってみてるだけなんですけど、常に。

さんビズで印象に残ってるのは、一番最初のときですね。花火をテーマにするのはちょっと考えてたんです。ソーシャルビジネスっていうか、社会課題と掛け合わせて何かないかなと思ったら、やっぱごみ問題とかすごいわけですよ、花火大会は。花火のごみ、玉殻を拾うみたいなね。あれが商品になんないかなみたいな。正直変てこなアイデアなわけですけど、同期のみなさんがどんなアイデアでも受け入れてくれるから、ありがたかったですよね。ほんとにお金になんのとか、それで食っていけないよとか、そんな話はないわけで。気楽な発想をほんとに形にできる環境というか。救われる人もいただろうし。自由に発言できる空間としてさんビズはあって、よかったと思います。失敗してもいいし、成功しても嬉しいし。いいじゃないですか、そういうさんビズマインドっていうか、空気みたいなのが。うん、やっぱ他のビジネス系のとは違うし。

<参加の入口は至るところにある>

さんビズの「さん」には数字の3、山とかいろんな意味がありますけど、自分的には参加の「参」がいいなって。選挙とか地域の自治とか、あるけど参加しないことも多いわけじゃないですか、世の中。でも、こうやってハードルがすごい低くて、いつでもやれるし、アイデア一本で入っていける。ビジネスって意外とそういうところから始まるから、そんな参加のきっかけにね、新しいことをやるとか、踏み出してみるにはちょうどいいと思うんでね。ぜひ、迷わず参加していただきたいと思います。

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