㉑~六期生・山田寛子さん

自給自足の暮らしから生まれる温もりのパン

自然の中で生き生きと育つ

山田寛子です。生まれは、十日町の中里村。1976年生まれです。

子どもはいっぱいいましたね。国道沿いに商店街もあったし、近くで買えないものはバスに乗って十日町の中心部に来てました。商店街にはいろんな店があって、楽しい時代でしたね。

子どもの頃のことって、よく覚えてないんだよな。友達と集まって何か料理作ろうとか、手芸の得意な子んちに行って作ったりしてたかな。雪が降ると、ブルドーザーが雪を押した山が何個もなるんですね。家のすぐ横で、妹と一緒に駆け回ったりしてたのは覚えてるかな。近くの川でも、夏に遊んだりしてたな。

部活一色の学生時代

中学校で陸上部に入ったんですよ。短距離で友達と二人で入って、1年生だったかな、秋のクロカン大会の人数が足りないから出ないかって先生に言われて。二人とも良い成績を出しちゃって、長距離に転向だなってなって。

杉林の斜面が結構あって、部活の子三人とソリ乗ろうとか言って滑ってました。雪があるときに。陸上部のコースで走ってて、じゃあみんなでちょっと探検に行ってみようよっていう感じで、弁当持って。

高校は十日町に行きました。部活の長距離が強かったので、顧問の先生が来てくれって。部活は辛かったですけど、人に恵まれたからついて行けたっていうか。中学と高校は部活一色って感じですね。だから部活の友達との思い出が一番多い。

進路に悩んで栄養士の道へ

ずっと陸上やって、3年で終わるじゃないですか、春で。そこから自分が何をしていいか分からなくなったんですよ。自分が自分じゃなくなったみたいな。陸上の方で大学に誘われたんだけど、行かなかった。

悩んでるときに、図書館で井上ひさしさんの本を読んだんですよ。そしたら、農業って大切だよね、何をするにも食べ物を食べなきゃできないし、それを作ってる農家の人ってすごいなって思って、農業に関心が出たんですよ。そのとき、ちょうどウルグアイラウンドで、ニュースで農業、農業って言ってて。農大の推薦受かんなくて、一般受験の勉強ってほとんどやる気が起きなくて落ちて。そしたら、お母さんが栄養士の専門学校を勧めてきたんですよ。栄養士学科に行ったんですけど、興味がなかったからやめたくてやめたくてしょうがなかった。でも、友達は今も付き合ってる子がいるくらいいい人たちに恵まれて。

栄養士の資格を取って、病院の給食に入ったのが初めての就職。求人票は結構来てて、都心はやだな、多摩市って山の方だしいいかもと思って受けたら、受かりました。それで、多摩市に妹と一緒に住み始めて。妹は、音響の専門学校に行ってたときかな。

栄養士の学校って、調理実習が多いわけじゃないので、料理が作れるようになってるわけじゃないんですよ。一人暮らししてやっと料理し始めた感じだったんで、全然できなかったんです。パッパッパッとやるのも苦手だから、それも大変だったし。バイトはみんな優しくて楽しい方が勝つけど、就職って大変だなと思って。 お父さんとお母さんから、帰ってきてくれって手紙が来たんですよ。わたしも帰ってもいいかな、みたいな感じで、2年ちょっとで辞めたのかな。父が勤めていた病院の給食に入ることになって、そこで働きました。東京は、冷凍の野菜とか使ってたんですけど、その病院は手作りだったんで、そういうのを勉強させてもらったり。

自分の作ったもので料理をしたい

多摩市の病院にいるとき、うちの人と付き合い始めて、遠距離恋愛をしてて。そろそろどうしようかなっていうことで、3年ぐらいで病院を辞めて東京に行ったんです。旦那さんの実家が立川で、そこに住みました。立川に行ってからも、仕事はしてました。病院の仕事もやったし、違うところに行ってみたいなと思って、保育園の給食にしたんです。そこに勤めてたときに、赤ちゃんができたので、それで辞めました。1年は行ったのかな。

東京でも、東日本大震災のあと、市民農園借りたりしてて。ちょっとずつ自分の中で実践が始まった。そのときから、ただ調理場で作るんじゃなくて、作ったもので調理したいっていうのはあったんです。知人の畑をやり始めて、そこではこういう肥料をこれだけ入れてくださいとか、農薬をかけてくださいっていう指示が出るんですね。で、農薬がすっごい臭いんですよ。これを食べるやつに散布するのか、なんかおかしいよなと思って、そこから自然農に興味が出て、山梨の自然農の学校に行き着いて。で、何回か実習に行かしてもらってたっていう感じですかね。畑をやり始めたのは大きかったんじゃないかな。自分でやってみると、いろんなことが分かりますよね。

子どもが2歳になって、二人でいるのが限界になって、保育園に預けたいと思って自然食レストランに勤め始めたんです。今までずっと栄養士だから病院の給食とか保育園の給食っていう風に選んでたんですけど、それがやだなと思ったんです。自分がほんとにやりたい仕事はないのかなって思ってたら、そのレストランがあって。ちゃんとした組織に入んなきゃいけないかな、お母さんも心配するかなっていう葛藤があったんですけど、自分はこっち行ってみたいからと思って。そこでシェフが玄米の話をしてくれたり、自然農やってる人が来たり、ホールにいた子がマクロビをやってて教えてくれて。そこに入ったのが、いろいろ後につながってくるっていうか、そんな感じでした。

子どもが産まれて、小1までは東京。東京に10年いました。2年から十日町に帰ってきて、中里に戻らないで今のところに住んだんですけど。東日本大震災があって、東京に住んでるのが怖いなと思ってから移住先を探し始めてて、長野で自然農をやってる方のとこに実習に行ってたので、そっちで探してたんですよ。でも、そこは決断ができず。って言ってたら、お父さんが病気になった。お母さんが一人っきりになっちゃいそうだから、新潟に帰るかって。

人とのつながりでさんビズに

さんビズを知ったきっかけ、何だったんだろうか。パン屋を始めたときにSNSやり始めたから、それで。この自然な感じの起業講座って面白そうだなって。十日町の松之山でやりますって、3期生の佐藤美保子さんの投稿が出てきて。長岡に自分で運転していくのが不安だったんですよ。松之山なら行けるかなって思ってたけど、都合が悪くて行けなくって。あと、パン屋のやり方がこれでいいのかっていうのがあったんで、もう一回起業講座を受けたいなって入ったと思います。

パン屋は、今年で8年目か。十日町に戻って2年くらい経ってからだと思うんですよね。戻ってきてからは、事務の仕事をしました。山の会でお世話になった人が板金屋さんをやってて、事務を募集してるからって。事務なんかやったことなかったんですけど、時間も早く帰れるからやったんです。その途中で、地元の病院の先生にパン食べてもらったら、美味しいから給食に出してほしいって。週1回パンを焼く。

ふり返れば道があった

さんビズを受ける前は、色々な考えがごちゃごちゃしてたと思うんですよね。でも、自分の気持ちとか書き出したりするじゃないですか、自分の昔やってたことも。そういうのが整理できて、何がほんとにやりたいのかっていうのが分かったと思います。

起業テーマは、天然酵母のパン屋なんだけど、ただのパン屋になりたくない、ってずっと書いてたと思います。でも、何をしていいかが分かんなかった。それがだんだん具体化してきて。最後の発表会のときに、同期のみんなから、寛子さん変わったねって言われたんです。やりたいことも、そのときにちゃんと出せてたんですよね。そのあと、無理にやっていこうと思ったわけじゃないんですけど、田んぼは絶対やんなきゃいけなかったので、田んぼを始めて。そのうち、やっぱしわたしはただパンを売るのが好きじゃないんだ、だから売るのは控えよう、みたいな。じゃあ何する、パン教室やってみたいと思ってたからやろう、って。ちょっとずつやってみたら、あれ、これさんビズで書いてある通りじゃん、ってあとで分かった。

田んぼは、パン屋始めて2年目くらいのときに、山の会に入っていた方がやらねえかって。最初は2畝っていう狭いとこを手植えと手刈りで始めたのがきっかけです。それで、さんビズに入った年に、その方がまた2枚、7畝と5畝をやらないかって。でっかくなるから、全部手じゃ無理だと。じゃあ、人も呼んでやろうっていうことで、ちょうどそれがさんビズのときだったと思うんです。

米を作る、自給するっていうのが大事だと思ってたから、やりたい方に行っていいんだ、って。パン屋なんだからパンをずっと作ってなきゃいけないっていう、わたしの中にずっと重しみたいにあったので、できなかったんですけど。講座の中でいろいろやるにつれて、薄まってったんじゃないですかね。

 鶏を飼い始めたのは、自給自足の循環が一気にできるから。卵が生まれて、米も食べさせられてフンが肥料になって。鶏なんか飼ったことなかったんですけど、思い切って飼いました。自分の中で、自給自足っていったら鶏がいる、農家の昔の風景みたいな。

顔の見える関係性を大切に

パン屋で大事にしているのは、材料とか全部顔が見える人のものを使ってるっていうことですかね。自分が使いたいと思うものを使う。あと、時間までにバーッてやる大量調理がやだったんですよ。でも、気づいたら同じことをしてるって。だから、そういうのもあって、さんビズでもう一回考えたいっていうのもあると思います。

さんビズは、普通の起業講座と違って、自分を見つめるあの時間っていうか、自分がしたかったことは何なんだろうっていうのを思い出させてもらえたところだったので、ただ儲けたいとかそういうのじゃない人に受けて欲しい。普通のビジネスもお金だけじゃないとは思うんですけど、自分が大切にしているものを表現したい人に受けてもらえると、それが明確に分かって、そういうのを大事にしてる仲間ともつながれるので、そこで広がっていくから。ほんとよかったです、入って。人脈が増えますよね。そういう人にはぴったりだと思います。

自分が作ったもので商品を作る。お米を作って、それがパンにできる。それで、パン教室でみなさんにそれを伝えられている。わたし、それが今できているので、すごく嬉しいです。

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