番外編②~さんビズなひと・武樋孝幸さん

さんビズをとことん楽しむ発明家

<さんビズの下地を作った学生時代>

生まれたのは長岡市で、高校までは長岡にいて。大学で仙台。大学を選んだ理由は、当時科学系に興味があって。中学の時にNHKでアインシュタインの特集を見て、不思議な世界に憧れたんだよね。天文学を勉強したいと思って。理学部の中に天文学科ってのがあるんだよ。結局、天文学科には行けなかったんだけどね、成績悪くて、ははは。
大学では、柔道ばっかりやっていた。物理がやりたくて入ったはずなのに。ちゃんとした柔道部で、月曜から土曜まで週6で毎日4時間練習するっていう部活。歴史も長くて、明確な記録で残ってるのは戦後すぐから。ずっと同じ大学で、一年留年して、修士が2年、博士課程は4年。博士の4年目は、理学部じゃなくて工学部の研究室に出入りしてた。ずっと物理を仕事にしようとは思わないなぁって。
最初は相対性理論をやりたいって大学に行ったけれども。修士の2年間は自動車部に入って、それが機械修理の方に活かされたね。自然が好きだったし、山の中を走ることは多かったから、ビルしかない東京に行きたいとは思わなかったな。

<現場で活かせる技術を目指して>

就職活動をそろそろやんなきゃって、そこで機械関係、できれば自動車関係っていうのを望んでたんだけれども、求人が全くなかった。ちょっと方向変えようと、あっちこっちの電気自動車作ってる研究所とか他の大学も行ってみたんだけど、その中で比較的ここはいいなと思ったのが意外と自分がいた大学で。
出入りしてた研究室の先生が退官になって、他の大学に移ることに。「あ、じゃあ行きますよ~。どうせ就職決まってないんで」っていうので、一緒について行った。1年目は無給の研究員で。そしたら使えそうだなって思ってもらえたのか、2年目から助教になって。当時はLOHAS、健康で持続可能なライフスタイルっていうのを工学分野から進めようって研究で家をテーマとして、俺はエネルギー担当だった。

助教になった1年目、招待講演で藤村靖之先生の話を聞いた。このときはまだ月3万円ビジネスとは言ってなかった気がする。非電化発明家。「藤村です。発明家をやっています」って。俺も今では自称発明家だけど、当時は何しようかな、何のためにやるのかなって。
東日本大震災が起きて、専門が再生可能エネルギーだからってこともあって、あちこちボランティアに行った。自分の技術とか経験が活かせそうだ、と思って関わったけど、いや活かせない、という実感を持った。このままじゃダメだ、どうすればいいのかという発想になって、そこから2年間、大学で働きながらどうするか考えたね。

<西会津町とのめぐり会い>

西会津に出会ったのは、大学を辞めるその月、2月か3月くらい。移住者のコミュニティみたいなところに酒飲みに行ったら、外から来た人は2人だけ。これから頑張ろうって。そこの場にいた地元生まれの若い人が、「あっ、面白い人が来た」っていうので、翌々日ぐらいに「良い物件見つけましたよ」って古民家を紹介してくれて。西会津に決めたのは、それが大きかったかもな。その人は地元出身だけど一回外に出て、福島で原発事故があって、将来住もうと思ってた実家がほんとになくなりそうだというので戻って来た。

移り住むときに何やって暮らしていこうっていうので、月3万円ビジネス。大学を辞める最後の1年間でちょこちょこ月3万円ビジネス的なことは試しにやってて、うーん、ちょっと難しいけどやるしかないかと思いながら。

一番最初にやったさんビズは、クラシックバイクの修理。いわゆる古いバイク。普通のバイク屋さんが手を付けない、これ古いなっていうのを専門でやる。自動車部で古くて壊れやすい車にしか乗ったことなかったから、実際大丈夫で。時間かかるからこれ以上やりますかどうしますか、っていうのはあったけども、直せないっていうのはなかったな。お客さんが安定しなくて、年に3件しかなかった。でも、これがあとから発展してね、農機具修理屋さんになったりするわけだから。

<月3万円を発展させた年100万円ビジネス>

西会津の奥川に移り住んでから、やっぱ農機具修理かなっていうときに、その時の感覚が役に立った。自分の性格なのか脳みその構造上なのか、2つ3つ掛け持ちするのは苦手だなというのがよく分かって。1つか2つに絞ろうと思ったときの方法として、月3万円ビジネスと基本的な考え方は同じで、年100万円ビジネスで考えようと。

これがどういうのかと言うと、その土地でなくなってしまった仕事が撤退するのがおおよそ年収200万円を下回るときだなって。じゃあ、他の人がやらない仕事をメインじゃなくて半分とか片手間でやるようにすれば、地元の人にはありがたがられて、ライバルはいないから無理な営業しなくていいし、感謝されながらできるなぁ、じゃあ年100万でいこう、と思ってね。年100万のためにフルタイムで働いたらどうしようもないから、残った半分の時間で別の仕事をやる。俺の場合は、農機具修理で年100万円くらい稼いで、もう1つが再生可能エネルギーの発明。既存のものを設置するのではなくて、最初から作る、部品集めてきてね。

作って売れたのでいうと、まず自宅の太陽光発電のパネルと蓄電池と電圧変換機。オーダーメイドでね。2ヶ月に1個売るとさんビズになるかな。みんなで作れば、ワークショップの体験料も収入になるし。ぜひ一緒にやりましょうって言ってくれる人がいたら、2人で合わせて月6万円みたいな。材料を提供して、ワークショップ開催のちょっとした補助はします、ってすると、企画する側の人もある程度お金が入って、こっちとしても売れるプラス色んな人に体験してもらえてっていう。

過去に実施した太陽光発電の自作ワークショップの様子

他には、太陽熱温水器。台所排水の浄化槽。ソーラークッカー、フードドライヤー、大型のドラム缶改造型の室内用ロケットストーブ。あと、節電に興味がある人も多いと思うんだよね。安いのでは、パンの発酵器。需要ありそうだとか、伸ばしていきたいネタ?料理用のロケットストーブは、欲しいっていう人がいる。最近だと、蓄熱式煉瓦ストーブも作りたいね。

<絞り込むことで可能性が広がる>

あとは、You Tuberやろうと思ってる。発明の宣伝にもなるし、知識も手に入るし。あとは、作るだけじゃなくて科学的な実験も色々できるから。分からないものだったら、作ってみましたって。色んなものを開発することは、西会津ならいくらでもできる。山ん中に入ると色々と勉強につながることもあったりするから、教育チャンネルみたいなのもできるといいなぁ、と。世の中の多くの人に見てもらう方が、自分の目標は達成できるというか。

数あればいいってもんじゃなくて、いくつかに絞り込んだ方がいい。藤村先生も言ってたんだよね。西会津に移って2、3年目で相談に行ったら、「月3万円ビジネスがいくつか組み合わせればいいとは言うけれども、やっぱり定番のものが2つくらいあると安定するからすごくいいんだ」って。そうすると、それ以外は月3万に何とか持って行こうっていうのはあんまり意識せずに、何か面白いものに育ったらいいなって考えられる。

<さんビズは楽しんだもの勝ち>

思いついたらやってみた方がいい。母校の柔道部のOB会で後輩に話したのが、「何でもうまく行くとは限らないけれど、やってみると意外とうまく行ったりしますよ」。柔道部は、最上級生が練習方法を色々考えながらやるような部だったから、あれこれ試せるものは全部試そうと。結果が良かったかどうかは分からないけど、まぁ自分には合ってたかな。
自分が損しない範囲だったら、まぁ何でもとりあえずやってみると。失敗しても面白ければ勝ち、ぐらいのね。進んで失敗するわけじゃないけれども、色々試してみようっていうのは昔からやっていて。自動車部の後輩が、「武樋さんは色々チャレンジして全てにおいて失敗してるから、大事なところでは絶対失敗しない」って。失敗し尽くしているから、本番ではこれやらなきゃいいんだ、失敗したからもう一回やればいいか、ってね。

※この記事は、「聞き書き」の手法によって作成しました。

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