⑪~五期生・大谷あすみさん

集い合い学び合うみんなの居場所

生まれは、東京の八王子なんです。小学校5年生のときに隣の立川市に引っ越して。出身が東京って言うと、わーっ、都会ですねって言われるんですけど、うちは全然田舎でキジとかタヌキとか出ます。すぐ近くがトトロの舞台になった狭山っていうところで、八国山とかあるんです。

<つながりづくりは子どもの頃から>

子どものときは自然の中で遊んだかって、そうでもない気もしますけどね。今思い出すのは、イベントとか考えるのが好きで、友達同士でお泊り会とかクリスマス会とか企画して。ワープロでプログラムとかしおりを作って、友達に配る。今思うと、あの時から好きなんだなって。

立川は、小学校5年からずっと。大学も実家から。結婚するまでそうですね。小、中、高校と鍵っ子だから、いつでも自分の家に友達が来る家だったな。たまり場っていうか。自分のうちに人を呼ぶのが好きなのかも知れない。そうそう、中学のときの集まりは、部屋で盛り上がってると、いつの間にかわたしの母も入ってて、それも嬉しかったんですよね。好きな人同士がつながったりするのもすごい好きなんだろうなって、今になって思います。

<福祉の世界へ>

小学校5年生から高校1年生までバスケを続けてたんですけど、高校の時に肩を壊しちゃって途中でやめて、アルバイトと手話を習い始めて。母親が介護職で、行事にはよく呼んでくれて、利用者さんと過ごしていて。だから、福祉の畑には自然と馴染んでいった。手話を習いたいなと思って、社会人向けの講座に2年ぐらい通ったかな。すごい楽しくって。習ったあとは、先生が交流会みたいなのを設定してくれて参加してたけど、通訳ボランティアしたことはないですね。それっきりかなぁ。

大学は、社会福祉学科があるところしか受けてないです。最終的には社会福祉士の受験資格を得られるコースで、卒業と同時に資格を取りました。在学中はホームヘルパーの資格を取って、バイトはしていて。在宅支援やガイドヘルパーっていう外出支援をやりました。将来、絶対に福祉系の進路に進みたいって決めてたから、活かせるようにしたいなって。
大学を出てすぐに福祉の世界、ですね。日曜日、新聞に求人の折り込みチラシ入ってるじゃないですか。介護老人保健施設のパート募集の求人見て、正社員取ってますかって聞いて、面接してOKだったんですよ。自転車で5分くらいで通えるところなんです。

<結婚を機に長岡へ>

夫は大学の同級生で、大学1年生のときからのお付き合いなんですね。お寺を継ぐために大学に入った。2009年の9月に入籍しました。2010年の1月に仕事を辞めて、3月に長岡に行く予定だった。最後に有給消化して遊びまくろうと思ってたら、母親ががんになって。母親もすごい強い人で、闘病生活を始めたものなら、3月に娘が長岡行く予定が狂っちゃうのがすごい嫌だったみたいで、手術と入院を終えて、3月には普通に家に戻って、普通に仕事も復帰して。「そんな心配しないで長岡行きなよ~」って送り出してくれたんですよね。やっぱ母親ってすごいなぁって。

長岡に来てからも、福祉の仕事はしてますね。特別支援学校の教員のアシスタント、その次は老人施設の正職員で就職しましたね。その途中で東日本大震災が起きて。結婚式と新婚旅行もその時期にしました。わたし多分、すっごい好きだったんですよね、この仕事が。東京にいるとき、これ天職だなっていつも思いながら。家帰っても、あの入所者さんどうしたらいいかなとか、明日仕事楽しみだなとか考えてました。

<自分が大事にしたい働き方>

2012年の11月に長男が生まれたから、1年間産休と育休を取って。育休中に、市内の色々なイベントに行ったり、ママ起業の会みたいなのに参加して。その頃から意識してたんでしょうね、いつかは自分で仕事したいなって。この時期に出会った人って、みんなわたしの憧れのお母さんなんですよね。
2014年には、食べ物の選び方とか暮らし方について全国講演している元看護士さんを招いて、夫の実家の本堂を貸してもらって個人でお話し会をやったんです。この年は11月にも別のお話し会を。福祉の仕事をしながらやってたんですけど、わたしのやりたいの、今これじゃなくなったなっ、ていう違和感はずーっとあって。

育休が明けて、正職員じゃなくてパートとして戻ったんですけど、体力的にハードで。疲れ切っちゃってて、いっつも保育園の送り迎えの記憶がない。わたし何を大事にしたいんだろうなって思ったときに、この働き方は続けたくないな、辞めてもいいかなって夫に言ったら、辞めてもいいよって。2014年の12月だったかな。

<「ひとつぶ」をライフワークに>

2014年に仕事を辞めて、2015年の2月に「ひとつぶ」っていう名前を改めてつけたんですよね。それまでは個人名でやってたので。その時からコンスタントに会をやり始めたかな。子どもの食についての話やカレー作ったり。コンセプトは、子どもの未来と食を考える会。

子どもが生まれる前に、エコイベントのボランティアをやってたんですよね。関わっていく中で、東日本大震災があって。参加する人の中で、福島県から避難してきた人が多いから、そういう人と知り合う機会があって、色々考えるところがあって。別のイベントのお手伝いをしたときにも、今の社会に対して問題提起している人たちとの出会いがいっぱいあって。改めて自分で学び直す機会を待ってた、待ってたって言うか作りたいと思ってたんでしょうね。だから、自分のアンテナに引っかった人には積極的に会いたいなと思って会いに行ったし。

講師は、わたしが依頼をして来てもらう。大変だけど、自分の使命みたいに感じてたんですよね、何かね。この活動がライフワークの一つっていうか。この頃は、色んな人が出入りして手伝ってくれてたな。

<自分と家族の健康を守りたい>

さんビズは、日曜開催しかも丸1日っていうのが参加しづらくて、見送ってたんですよね。でも、1期から気になってたんだな。受講は5期だけど、その頃も受けるならテーマは「ひとつぶ」でしたね。

第5期を受講中の大谷さん

自分の働き方どうしようとは思ってたんです。仕事辞めてから、ずっと子ども見ながら。次男は未満児、長男は保育園行ってて4歳で。その時に、保育園行ったら働かなきゃだから、それで自分の働き方どうしようってなったんですよね。わたし、組織に勤めるっていうことができなくなっちゃったな、自分の中の違和感をごまかせなくなっちゃったなって思って。自分で仕事作ってくしかないよね、自分で仕事を作っていきたいなって、前向きに考えるようになった。2016年に足もみを習い始めたのも同じようなタイミングですね。

東日本大震災のとき、正直、そこまで震災について思ったわけじゃないんです。でも、子どもが生まれてから、被災者の人とか講師の方とかとの出会いがあって、何よりも目の前の自分の暮らし、ライフラインが途絶えたときに機能しなくなる自分の生活に不安を覚えた。誰かに、何かに頼りすぎてる今の暮らしをちょっとどうにかしたいなって思い始めた。その中でも健康の自立には、結構強い想いがあって。自分の健康は自分が守る、自分の家族も自分が守る、みたいな。ひとつぶには、この二つがベースにあって、そういう想いに賛同してる、そういうことを伝えてくれる人を講師に呼んでたんだと思います。そのテーマを話せる人だったら誰でもいいとかじゃなくって。

学んでいくうちに、知識だけじゃなくて自分の健康を自分で守れる技術も身に付けたいと思って足もみを習い始めて、そのあと整体を習い始めて。生活の自立度を上げたいと思ったんだよね。今年始めた畑もね、自分の食べるものは作りたいなって。

<産後のお母さんが学び合える場に>

さんビズを受けてみての変化ですか。今までのひとつぶのイベントって、単発なんですよね。そこで出会って生まれる縁もあるんだけど、コンスタントに月1回会い続けることでつながりが強くなっていったりするから、定期的に集まれるようにしたいなぁと思っていて。部活じゃないけど。

どんな人に集まって欲しいかっていうと、子どもが生まれてから、これは病院に行った方がいいのかなとか、お熱出たらドキドキするとか、食べ物をどうやって選んだらいいのかなとか、産後のお母さんって知的欲求みたいなのが高まる時期だと思うんですよね。そういうときに学び合える場をやっぱり用意しておきたいな。ただ学ぶだけじゃなくてね。ひとつぶは、コミュニティなんですよね。コンスタントにやっていくと、同じアンテナに引っかかってくれる人がレギュラー化してきて、小さいコミュニティが生まれてくるのがわたしにとってはすごい嬉しい。

ひとつぶの活動は、講師の方を呼んでみんなで講義を聞くっていうスタイルがこれまで圧倒的に多かったんだけど、やっぱそのあとにシェアし合う時間が欲しいなといつも思っていて。ただ、1回の講義が2時間で、そのあとにシェアの時間を設けると半日がかりの長丁場になっちゃう。だから、ずっとどうしようかなって思ってたけど、そのシェアの時間があるから深まるんですよね、講義が。一方通行じゃない感じ。同じ講義受けて、あの人はああ思ったんだとか、それを聞けるだけでも違うから、それが面白さだし。来てくれる人も、自分と共鳴してくれやすいから、そこでいいコミュニティが出来てて。

さんビズ受講を通して、屋号は「結処(ゆいどころ)・ひとつぶ」に。

<人生は一本道じゃなくていい>

ひとつぶでこれからやりたいことは、8つの部活ですね。お寺ヨガは2019年の夏から何回かやってみて、エコ活ではみんなではし袋作りました。あと、消しゴムはんこと糸かけ曼荼羅、お手当て、華*華、しあわせごはん、手仕事。まだ全然やってないものもありますね。

しあわせごはんのある回では、子連れの人もいたり、子育て終わった人もいたりで、自然とみんながみんな子どもを見るみたいな、こういう雰囲気いいなって。やっぱ安心感があるなと思って、そういう居場所必要だよなって。

ひとつぶを始めたときは子どもが小さかったけど、子どもたちの年齢と共に自分のやりたい内容も変わってくるんだろうなって、今は思ってて。
学校では出会えない、学校では教われない面白いネタとか考え方を持ってる大人っていっぱいいるじゃないですか。特にさんビズなんか、そんな塊じゃないですか。そういう大人たちと子どもたちが出会う場づくりはやっぱしたいな。会社に勤めてたけど、辞めて今こういうことしてる人がいるんだな、一本道じゃなくていいんだなって思えるだけでもね。

※この記事は、「聞き書き」の手法によって作成しました。

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