自由な発想で自分らしく働きたい
生まれは、神戸なんですよ。父方は徳島ですけど、母方が神戸。1歳くらいから徳島に移り住んだんで、徳島育ちみたいな感じですね。
僕の原点って、やっぱり子ども時代っていうか。とにかく幼少期がすごく輝いてますね。その頃の僕はとにかく外の世界、全てが新鮮に見えてたようなので、ほんとに好奇心旺盛で。歩き始めたときから脱走しちゃって。両親は手を焼いたと言いますね。
<ものづくりに没頭した幼少期>
1歳までは、山奥の父方のおばあちゃんのところ。2歳からは阿南市、4歳で隣町に引っ越しして。それからずっと20歳、高専を卒業するまで住んでました。そこは海が近いんです。だから釣りが好きで。中学生のときは、一番絶頂期って言うか。学校終わったら帰って釣り道具持って。それくらい近くに釣れる場所がありましたね。
高専に行くきっかけはありまして。僕は、とにかく小さいときからものづくりが好きで、小学校の好きな教科は図画工作。幼稚園のときも、木工ばっかやってました。幼稚園の片隅に廃材があって、みんなお遊戯してるのに一人だけもの作ってました。
小学生のときだったかな、高専祭っていう学園祭に2回くらい遊びに行ったんですね。ものづくりが好きだったんで、高専に憧れて、中学1年の頃から高専に行きたいって決めてて。全国に55あるうちの、阿南高専ですね。
<理想と現実のギャップ>
無事、高専に入りました。ドキドキでしたね。でも、思ってたような学校とは違いました。理想と現実のギャップにちょっと落胆しちゃって。家庭環境が悪化したり色々重なっちゃった時期だったんで、めちゃくちゃでしたね。
最初は、座学から学ぶのは当たり前なんですけど。自分が思い描いてるものづくりではなかったと言うかね。工業製品を作るための技術とか知識を学ぶみたいな感じですよね。
僕が好きなのは、何か問題があって、ものを作ってそれを解決しなさい、とかね。高専4年生で1年かけてロボットを作るんです。ミッションがあって、ここを左に曲がってこの階段を昇って降りてゴールしなさい、みたいな。そのミッションをクリアするためにロボットを作成して、クリアしてとても嬉しかったっていう経験があって。そういう自由な発想に基づいた、自分で考えてものを作るっていうのを、僕はやりたかったのかな、って思いますね。
<進学、長岡へ>
高専は5年間、大学の2年までが高専期間なんですね。進学組は、高専を卒業したら大学の3年に編入する。僕はとりあえず学歴が欲しかった。大学で勉強して学歴をつけたら楽な仕事に就けるっていう流れでね、大学に行こうってことで長岡技術科学大学を選んだんですよ。技大は特殊な大学で、高専生を受け入れるために作られたんで、今でも高専生は在学生の8割くらい。とりあえず修士までは取ろうかと思ってました。大企業に入って働くってことが前提だったのでね。
学部のときは、はばたき装置の研究開発をしてたんですよね。羽根が生えてる鳥型のロボットで、結局飛べなかったんですけど。修士課程になると、博士課程まで継続していた渦に関する研究をやってましたね。元々有害だった現象を利用してエネルギーに変換する、エネルギーを取れないかっていう研究です。
修士課程のときはね、就職活動したんですよ。第1志望に受かったんですけど、母親が精神的に不安定になって。やむを得ず休学して、実家に帰って半年間面倒を見て。そうなると、就職先を蹴らないといけない。それで博士課程に切り替えたって感じですね。家族のせいじゃなくて、自分が働いて生きていくっていうのが、自分の中で揺れ動いていた時期だったと思うんですよね。もうちょっと学校に身を置いて見聞を広めて、自分に合った働き方、生き方を探さないと。
<月3万円ビジネスとの出会い>
さんビズのことを知ったのは、ふらふらして研究に身が入らなくなった頃ですかね。博士課程の2年ぐらいで、学校行かなくなったんですよ。そこから自分の生き方とか価値観、理想を追求し始めたというか。そのときは本当に苦しくて、家で引きこもってて。何かあるんですよ、内に秘めたエネルギーみたいなのが。でもそれがなかなか出てこなくて、探し求めている感じでしたね。自己啓発の本とか読んで。辿り着いた先が、藤村靖之先生の著書「月3万円ビジネス100の実例」でした。
その前に、自分の中で変化が起きた。博士課程の1年のとき、友人とエネルギーシンポジウムっていう再生可能エネルギーに関する展示会に行って。ソーラークッカーっていうのがブースの片隅にあって、自然的なものづくりっていうのがあるんだなって気付かされた。ソーラークッカーを見てると、技術で自然環境に対抗しようっていう力ずくがないんですよね。元々あるお日さんの力で熱を生んで、それで料理する。そういうところにすごく心が動いた。そのあと、自分探しの旅が始まったんですけど。
不登校は1年くらい続きましたね。バイクで日本回ったりとか色々あって、1年後に藤村先生のビジネスセミナー「地方で仕事を創る塾」に行くことになったんですよ。博士課程3年のときですね。
塾は、土日で開催される講義を月1で合計4回、4ヶ月に渡ってあるんです。今の社会とか環境問題について悩んでる人たちが来るような感じで、特に何かやりたいっていう人はあんまり。最初の講義で、自分の好きなこと、あと藤村先生から提案された25のなりわいから選んで、自分なりにアレンジしていく。色々なジャンルがあるんですけど、僕はものづくりで。
榎本さんとお会いした前の年に、塾を卒業したんですよね。その後は大学で研究もしてたんですけど、色んなワークショップに出てる期間でしたね。とにかくワークショップっていうのが、当時は初めて目にしたので、どんなものかなって見たり感じたりしてたときでしたね。
<実現できるビジネスモデルを目指して>
塾でビジネスモデルは作ったんですけど、実現には程遠かった。僕が作ったビジネスモデルというのが、工作センターなんです。道具がない人のための場所を作りたかったんですけど、あまりにもスケールが大きすぎて結局お蔵入りしちゃった。道具も持ってないし、場所も全然見当もつかなかったしね。長岡とか新潟のコミュニティとつながってなかったんで、絵に描いた餅で終わっちゃったんですよ。だからさんビズでは、ちゃんとスタートできるビジネスモデルをとにかく一つ作ろう、焼き芋屋さんにしようって思って受けたんです。塾では自分で作ったにも関わらず、全然スタートしてないっていうのが心残りだったんでね。
さんビズのどこに良さを感じたんでしょう。3期の発表会を見て、さんビズの雰囲気も良かったのかな。でも一番魅力を感じてたのは、さんビズが終わった後も色々挑戦できる機会を設けている、榎本さんのアフターケアがすごいっていうのを、どこかで聞いたんだと思うんです。そこは大きいですよね。ビジネスモデル作って、はいさようなら、って結構ありがちだと思うんでね。
終わった後が大事だと思うんですよ。さんビズは、終わった後がすごくしっかりしてるので、やっぱり出てよかったなって思いますね。終わってみて、具体的なものができたなって。屋号の「和みぽてと」に始まり、まさか芋の仕入れ先まで決まるとはね。試し販売も3回経験できたし、うまく進んでほんとに良かったなって思ってます。
<和みぽてとにかける想い>
仕事の合間に来て欲しいんですよね。おやつとして焼き芋を食べてもらいたいしね。僕が届けたい人は、デスクワーカーなんです。休憩を忘れがちで忙殺されてるような人に焼き芋を食べてもらって、心も体も穏やかにしていただきたいんですけどね。
僕は食べることが好きで、おやつの大切さを大学院でも痛感したんでね。研究に没頭してると休憩を忘れがちで、意外と体にコリが溜まってるんですよね、心にもね。そういうときに後輩がお菓子くれて、すごく癒されたっていうかね。それでまた頑張れるじゃないですか。そういう体験をしてもらいたいっていうのはあってね。おやつは心の栄養ですね。たまには息抜きをさせてあげたいなっていう思いです。
僕の焼き芋は、つぼの中で低温でじっくり焼くので、芋に含まれるデンプンがかなり糖になるんですよね。なので、すごく甘くなって。外はカリッとして中がトロッとしてるっていう、クリーミーな焼き芋が売りなんです。あと、形がおしゃれなんでね、僕はつぼにこだわってるんですけど。
もう一つは、お客さんを連れて、芋の苗植えに行ったりしようかなって。消費者と生産者をつなげていって、お互いが感謝し合えるような、共に生きるっていう考え方のもとでね。
<スモールビジネスで日本を元気に>
今後のことですか。スモールビジネスを通して、僕は日本のコミュニティを元気にしたいですね。若者が元気ないなって思うんですよ。従来の働き方に腰を下ろしすぎてる、ストレスが溜まってる感じがしてならないんですよ。そういう人は、行動を起こしたいけど起こせない理由が何かしらあると思うんです。僕が率先して、こういうスモールビジネス、働き方もあるんだよ、ちゃんと生活してるんだよっていうのを見せて、そういう人たちのちょっとした希望になったら良いなって思ってますね。
つぼ焼き芋以外に、子どもの宿題を見守る学習の場と古道具を修理して売るレストア販売っていう3つのスモールビジネスをうまくやっていきたいな。でもまずは焼き芋からですかね。
おまけに、僕の生き方も見てもらいたいな。色んな働き方があるし、色んな人生があっていいんだよって。今の僕の生活はかなり破天荒で不安定なんですけど、でも挑戦してみたいですよね。それが希望となってくれたらいいかな、みたいな感じで動いてますね。
※この記事は、「聞き書き」の手法によって作成しました。
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