⑯~四期生・菊田敦子さん

大事なひととものが集う場は、時を重ねて熟成される

<自然の中で育まれたアイデンティティ>

生まれたのは東京の渋谷区ですけど、ほんとに小さいときの記憶があるかないかなんで。中学校までは転校が多かったので、自分の生まれ育った場所っていうのはない感じがしますね。東京に家族で戻ってきたのが小学校4年のときで、大学卒業して30歳になるまではずっと東京にいました。

両親が行く場所場所で畑を借りたり、釣りが好きだったり、山が好きだったりがあって、レジャーで連れて行ってもらったのが、原体験なんじゃないかなと思います。
一番大きいのは、ガールスカウトを小学校1年から成人するまで続けていたので、自分のアイデンティティはそこで育まれたんじゃないかなって思います。仙人のような暮らしをしたいっていう夢が、小学校5、6年の頃からあって。それは、本当に実現するとは思ってなくて、毎年キャンプ行ったり、ヨットとかも乗る、ロープワークも習ってたので、何とかなるんじゃないかみたいな。

自分で何でもできちゃうだけじゃなくて、人のために活かすにはどうしたらいいかっていうところをつなげて考えてたのが、良かったかなと思うんですね。そういう人はたくさんいて、精神的に仙人みたいな人。いつもニコニコしていて、困っている人がいないか、自分にできることがないか、っていう話をしてくれていたので、何となくこうなったらいいなっていうのを持ってたと思います。

ただ、行き詰まった時期もあって。個性的な大人と思春期に会うんですけど、大人になって好きなことをしてる人ってたくさんいるので、わたしも世間が納得するような道筋に乗って行っても、そのうちやりたいことできるんじゃないかなっていうので、軌道修正ができた気はしますね。

<自分らしい生き方を求めて>

大学出てからは、普通に就職しようかと思ったんですけど、学芸員になって美術館で働いたんです。そのあとは、展覧会の企画の仕事を20代前半でさせてもらってました。その流れから、新しく芸術系の学科ができるので助手をしないかって、東京の大学で助手を6年務めて。そのあと、新潟県内の和紙生産組合に入って、和紙を作ってました。

このまま新潟へ残るのか東京に戻るのかって悩んだ時期ですけど、自分の中でやっぱりどっかに仙人になりたいのがあって。職場も東京の郊外の方に行きながら、自然の中で育まれることが多いなっていう実感をしていたので、何となくそういう流れになってたんだなと。自分は東京を離れるっていうのはずっと思ってましたね。そこから16年くらい、新潟市で事務をやってました。

で、地域おこし協力隊になったんですよ。会社に勤めるだとかそういうやるべきことはやってきたから、あとは自分の好きな生き方をしたいっていうのを、会社に在籍している最後の方で考えてて。

協力隊の仕事は、探してなかったんです。仕事辞めたから、家を探してたんですよね。新発田とか関川村とかを中心に探してて。友達が県内で協力隊をやっていて、新発田は募集してるよって教えてもらって。新発田で陶芸をやってる人とも知り合いだったので、全く知らない場所じゃないし。応募したら受かったから、じゃあその流れに乗ってみようかなって。

地域おこし協力隊に着任していた頃の菊田さん

<ヨモギとの出会い>

協力隊は2018年の10月1日から始めて、翌年の6月くらいからヨモギのことを教えてもらって。ハーブの先生を講師に呼んで、ヨモギオイルを作る話を企画して、その年の8月にワークショップを初めてやりました。それを仕事にしようと思ったのが、さんビズです。

わたしは初めて新発田で複数の集落を一人でみるっていうのをやったんです。5集落で、合わせても120くらいの世帯数ですね。わたしが会うのは、70代、80代の人ばっかりですね。その方たちは、6月くらいからヨモギ餅を作るんです。夏になったらヨモギ生えっぱなしで邪魔だよね、みたいな感じなので、みなさんが使わないヨモギを使わせてもらう企画をしました。ばあちゃんたちも一緒にヨモギオイルを作ってくれて、実際使ってすごく良かったって言うんですよね。じゃあ、みんなが喜ぶものを商品化した方がいいんじゃないかなって。

ワークショップした人からも来年どうしますかって話が来てたので、その当時はワークショップの活動を増やして作る量も増やして、って思ってたんですけど、コロナでそうもいかなくなったので、翌年はヨモギオイルについてはモニターと商品化するために必要な情報を得ようと思って、動いていました。

協力隊になってヨモギオイルを作るようになってから、さんビズを受けたので。さんビズのことは、色々なところから話を聞いていたので、自分が知っているさんビズと榎本さんがやってるさんビズっていうのは違うのかなと思ってたら、そんなことはなくって。新潟に特化した形だったんで、行きたいなと。

<モヤモヤ感との向き合い方>

やり終わった直後は、モヤモヤ感でしかなかったですね。一所懸命落とし込んでいったはいいけど、果たして自分が本当に実現できるのかっていう不安を持ってたんです。そのあと漠然とした中からどう動くかっていうときに、何度もさんビズでやった資料を見ながら、立ち返るんですよ。不安材料を明確にしていくことで、行動を起こせるようになっていくっていうのを講座で知ったので、ここで諦めないで次のヨモギの時期までには、きちんと固まって動くぞと思って。さんビズ終わって発表してからの3~4ヶ月の中で行動することを決めて、不安感を解消する。やっぱスッキリしたかったんで。モニターやったりパッケージのことやったり。

最終的には、3年目で物を売るところまで行ったので、来年度はもう少し量を作れるスケジュールで作ろうと思っています。作れば売れるんだな、作った分売れるんだな、っていう実感を今年度すごくしたので。保存の仕方も、自分なりに色々実験して研究しました。

ターニングポイント的なものはなくって、さんビズで言ったことをきちんとやりたいっていうだけの。ヨモギがない時期に、じゃあどうするか。自分の中でイメージしていって、スケジュールを立ててみて、それに乗ってまず行動する、段取りをつけておく。それでも、実際動いてみると足りないことが出てくるんです。時間配分であるとか、材料の確保であるとか。そうしたら、草取りしてくれるんならいいよっていう広い耕作放棄地があって、それでだいぶヨモギの量が確保できたことはよかったと思います。多分、考える時期と行動に移す時期がうまく回って商品化に行ったのかなって気はします。

さんビズ第4期成果発表会でのプレゼンの様子

ちゃんとさんビズで発表まで持っていくっていうのがよかったと思うんですよ。思いはあるけど言葉にするか形にするっていうことが不得手で、そういう訓練をさせてもらったから、今度自分が一人になったときに、またその作業をすれば出てくるんだなっていう安心感がありましたね。

モヤモヤしたまま伝えきれなかったところで終わらせてしまいがちだったのを、やめたんですよ。絶対伝えようっていう気持ちを持ちつつ作業をやることで、自分自身も楽になっていくんですよね。あ、そうだ、わたしこうだった、って。それをすごくさんビズで学んで、生活の中でも生きてるし、商品化もできたし。それをわたしが人にも伝えて、さんビズいいぞって言いたいし。

今までは悩んで気持ちが落ち込んで、っていうことがあったんですけど、悩んでることは何だろう、できることからやってみようってなると、モヤモヤしてきたら今まで保留にしてたものが、自分の中から出て来たぞ、みたいな感じで受け止められるようになったので、悩むことが減ったんですよ。全部に通じるものがそこにあるんだなっていうのは感じてますね。

さんビズ第4期を受講中の菊田さん

さんビズに興味を持っている人っていうのは、どこか潜在的に自分がやりたいことに気が付いてる人だと思うんですよ。ただ、それをどういう風に形にしていくかが分からないから、やらないんだと思うんで、必ずさんビズでどうやったら自分が実現できるのかっていうことを、教えてもらった方がいいです。自己流でやるよりも、教えてもらいながらやった方が早いです。はい。

<自分が変われば周りも変わる>

一つ一つやっていくごとに、周りの人たちの反応も変わっていくのと、周りが見えてくるのかなっていう気はしましたね。自分のことで必死になってると見えてなかった周りの景色が、ちょっとずつ見えてくると、その人たちに対して関心を持てるようになって、そうすると初めてつながりが持てるというか。向こうから発信してきていたものを、受け止められるようになったんじゃないかなっていう気がします。

協力隊終わって、そのままヨモギのことも集落と関わりを持ちながら生活していきたいと思っていたので、新発田に残りたいなと。就職が決まったときにも、自分が副業としてヨモギオイルを作ることと発酵の教室を始めたので、それをさせてもらえるかどうかを聞いてOKだったので、それはそれでやらせてもらいながら会社勤めすることになりました。

発酵の教室のことは、さんビズでは話してないですね。自分で勉強していくと色々作るようになって、作るようになると欲しいっていう人が出てきて。わたしは、発酵の面白さっていうのは作ることだと思っていて。同じ材料で同じ場所で作っても、作った人によって全く違うものになったり、その人らしさが出てきたり。だったら、自分が知ってることとか勉強したことを全部伝えよう、一緒に作る仲間を作ろうと思って教室を始めたら意外とニーズがあって。

毎回来てくれる人が出てきたのと、そういう人が連れてきてくれる参加者の方って、やっぱり似たような感じの方が集まるんですね。興味を持ってることが一緒なので思いも同じような方たちです。一緒に作業することで仲良くなれるし、それぞれの話がわーって沸いてくるので、わたしが作りたかった場づくりにとっても近いものができてきてるなっていう気がしています。

大事にしてるものを大事にしてくれる人と会いたいっていうか、お互いに大事なものを分かち合うっていうか。そういうことがやりたいんだなって思うんですね。それがお金じゃなくても、自分が持ってるものを100%自分が使うんではなくて、2割くらいは誰かのためにとっておく。協力隊でお世話になったばあちゃんたちは、菊田さんの分の漬物とか、さり気なく分かち合うことをしてくれたので。食べ物が美味しかっただけじゃなくて、ほんとに気持ちをいただいたので、わたしもゆくゆくはそういう人になりたいな、そういう場を持てるようになりたいな、っていうのはありますね。できることをできる人がやるっていう、そういう感じですよね、うん。

<人生は時間をかけてつじつまが合う>

最近、ついついSNSで、若者よ、って語り掛けるんですけど、つじつま合ってくるっていうことなんですよ。わたしも若いときにめちゃめちゃつまずいてるので。そのときは絶望感しかないんですよ。生きてていいんだろうか、くらいのところまで行くんですけど、生きながらえていくことで、それがつながるときが来るんですよ。人と同じじゃなくても、それこそおばさんになっちゃえば、学年がどうとか、子どもがいようがいまいが、結婚してようが離婚してようが関係なくなってくると、それはそれで色んなものが解き放たれたときに、あーっ、って思うときがあるから。そこまでもうちょいだから、もうちょいがんばれよって。

※この記事は、聞き書きの手法によって作成しました。

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