番外編④~さんビズなひと・清野憂さん~

ご縁を重ねながら地域の食文化を未来へ

<にぎやかな幼少期>

出身は東京の府中市。20代後半くらいまでいたけど、わたしがいた頃はのどかでしたね。割と空き地があったり、畑もあったり。今はベッドタウンで家が増えた感じはしますけどね。

わたし5人姉妹の長女なんです。全員女で、だから母親は家事が忙しくて。公園で遊ぶか、妹の世話してるかみたいな子ども時代でしたね。大きな公園があって、学校が終わったら友達と野球したり。姉妹で遊ぶのもローラースケートとか竹馬とか、家の中で遊んでなかったですね。

学校は、一番近くのみんなが行くところ。部活は中学で水泳部、高校で体操部。体を動かすのは好きなんですけど、何が好きとか得意みたいなのはあんまりない子どもだったかもしれない。割といい子だったんですよ。自分が何をすべきかを常に一番に考えていたかも。だから、あんまりね、楽しくなかった。

<栄養学の道へ>

高校を出て、23区内にある短大に進学しました。わたし、運動部にいたんだけど太ってたんですよ。太ってる自分がすごい嫌で、栄養学を学んでちゃんと痩せられるようになろうって思って選びました。

その先のことはあんまり考えてなくって、でもすっごく勉強は面白かったんですよね。それで、栄養士の資格を取得しました。仕事としてやるんだったら研究系がいいなと思って、食品メーカーの研究所に就職をしました。そこは微生物の培養とか、製品の成分分析をするような仕事だったんですね。家からも近くて、5年いましたね。

<ケニアとの出会い>

すごくいい会社でしたけど、これじゃないなっていうか、本当にやりたいことをやってない感じはあって。このまま一生終わるのはもったいないなって思って。会社員時代に初めて海外旅行に行って、何回目かにね、アフリカのケニアに入ったんですよ。23歳のときかなぁ。旅行だったから、そんなにはいられなくって。でも、めちゃめちゃ面白そうだこの国は、ここに一回住んでみたいなって思ったんですよ。それから、何とかしてケニアに住める方法を考えようっていうことをやり始めたんですよね。

色々考えて、そう言えば海外でボランティアしてる人っているよね、って。NGOのボランティア活動を、仕事を辞めたあとに始めたんです。いきなりナイロビには行けなかったから、国内の事務所で手伝いをしながら、夜は居酒屋でバイトして。2年間ボランティアをして、そのあとナイロビの現地に行きました。

現地は、孤児がすごい多いんですよ。孤児院への支援とか、進学できない子に奨学金を貸してあげたりしてて。あと2人、女性が一緒に行ったんですよ。3人で孤児院を回って、授業みたいなことを一緒にやったり。ミレニアムイヤーはナイロビで迎えました。期間は1年だったから、ボランティア活動をしつつ、1年は遊ぶぞって決めて。1年たって帰国しました。

<社会経験を積み上げる>

会社員とかもうやりたくなかったんですよね、それからは。でもスキルは上げたいなっていうのはあったので、色んな会社に1年契約くらいで。派遣ですね。事務系の仕事はやったことがなかったから、社会人の基礎だと思ったので、一般事務から英文事務、経理事務みたいな感じで1年くらい働いて1ヶ月くらい休んで旅行行って、1年くらい働いて。簿記の勉強、フードコーディネーターの学校に行ったりもしましたね。

旅行は毎年ぐらい行ってたかな。アフリカ好きの友達がいて、一緒にケニア以外のアフリカの国とかね、行ったりしてましたね。楽しかったですよね。エチオピアとか好きだったな。タンザニア、コンゴ民主共和国とかマリとか。

35歳のときに、もう一回就職したんです。派遣を何年かやって、その介護施設に正社員で。不景気で、派遣で働くのも厳しくなってきて、就職するかって感じで。ですけど、やっぱりわたしのやりたいことはこれじゃない、っていうのがあって、そこらへんからですよね、移住しようって思ったのが。小千谷に来る2、3年前だな。

<やりたいことを見つけるために>

就職したときに、大好きだったスキーを再開したんです。わたし、スキーは今までないぐらい好きだったんですよね、スポーツとして。高校卒業する頃から、社会人生活をしてた間、やってたんですよ。で、新潟に来るようになって。春になると湯沢町のかぐらスキー場に来てたんですよ。4月から5月いっぱいぐらいまでは、毎週かぐらに来るみたいな。モーグルが大好きだったので、のめり込んじゃってて。

食にはずっと関わっていたくって。現代の食生活には多大なる違和感を感じていたので、こっち来る前から、自分で何でも作る方だったし、味噌作ったり梅干し作ったりとかやってたんですよね。でも、都会って便利でね、どこでもコンビニがあって何でも買えて、食べ物すらも工業製品にまみれてる。その状況がもう嫌だったんですよ。人混みも好きじゃなかったし、そろそろほんとに自分がやりたいことを見つけなきゃって思ったときに、移住だ、って。今度こそは移住した先でちゃんと自分のやりたいことを見つけようと思って、考え始めたんですね。もう38歳ぐらいになってて。

わたしの父親が新潟出身だったのと、自分もスキーでしょっちゅう来てたのと、寒がりなのであんまり寒いとこは嫌で、新潟いいよねって。食べ物美味しいし、海もあって山もあって。よし、新潟に移住しようって思ったんですね。

わたし、ちゃんとしたレールを歩いてきた人間だったので、ここまでね。ケニアに行ったら、そこで道を踏み外す快感をすごい味わって。うわーっ、何だこんな楽しいことあるじゃん、みたいな。そのへんで何か目覚めちゃったんですよね。アフリカ人の自由さ、気楽な感じとかありましたよね。日雇いで働いてたり、昼間なのになんでこんなに大人がうようよしてるんだ、って。

日本人って当時は、ちゃんと就職することがいいことなんだっていう文化だったんですよね。全く違う感じの人たち、でもいつも楽しそうで。それで、割とどこ行っても生きていける自信みたいな、変についちゃったりして。あと、固定収入がないといけないとか、そういう縛りからは外れたというか、自分から外したというか。

<地域の食材を活かして仕事を起こす>

新潟には、人のつながりは全くない。でもね、新潟で移住先を探してたらね、たまたま地域おこし協力隊っていう制度を見つけて。新潟県内で何かないかなって探してて、ここが、農家レストランの山紫があって。もうこれしかないじゃん、はい応募って。

3年間の協力隊っていう制度があるんなら、その先の基礎を作ろう。3年なんて短いじゃないかとかあるけど、わたしにとってはいい制度だったかもしれないですよね。もともと起業とか考えてたし、個人事業主になりたかったんですよね、わたし。そういう目標があって協力隊に応募しました。

協力隊の2年目、起業講座をとりあえず受けてみようって。起業しようと思えばできるんじゃん、って気になれた。地域の食材とか食文化みたいなとこはやっぱりやりたかったんですよね。お料理は山紫がやってるから、よしお菓子だ、って。胃袋かぼちゃ、あれ結構インパクトあるじゃないですか。胃袋かぼちゃのプリンを全国に売り出そう、みたいな発想ですね。個人事業主として開業したのは、協力隊が終わった2017年です。

<仕事はご縁の積み重ね>

畑は、協力隊の2年目ぐらいから関わり始めたのか。地元の団体が耕作放棄地の活用をやり出して。わたしは農業までするつもりはなかったので、手伝いに行くぐらいだったんですよ。そば畑、いちご畑。で、かぼちゃも作って。その頃はわたし、こうやってやるんだって教わりながら学んでた感じですね。

農作業の時間はまちまちで、全体で見ると3分の1ぐらいですかね。今、市内の農業法人に週2日行ってるんですよ。他の1日はデイホーム勤務で。あとお菓子の仕事と山紫、地域団体と農業協定の事務。畑に行く時間がなかなか取れないのが、今ストレスに。

ずっと繰り返しで同じ仕事をしてると、つまんなくなりがちだなってわたしは思ってて。色んなことやると、毎日色んなことがあるから楽しい。大変なことは多いけど、常に刺激的っていうか。そこがいいんですかね。色んな人に会う、関われる、色んな発見が常に起こってくるっていうところが楽しいのかな。

仕事は頼まれるのが多いですね。断らない方です。頼まれたからしょうがないかな、みたいな。ご縁なんですよ。だからそう簡単に切れるもんじゃない。でも、唯一自分からこれやりたいって言って始めたのが、大豆の自然栽培ワークショップ、My味噌づくりです。大豆の栽培、種まきから関わってもらって、収穫もして味噌と納豆を最後に作りましょうっていう。一年通しで関わってもらって、途中で枝豆食べたりしたいなぁって。みんなで何かを共有するっていうか、そういう楽しみを持ちたいなって思って。

<行動すれば全てがつながってゆく>

さんビズ生にメッセージですか。型にとらわれない、悩まないで行動すること。行動すると面白いことがいっぱい起こるし、こうやりたいと思い続けると何か知らないけど現実になるみたいなことってあるなあって思ってて。ちょっと目に見えない、よく分かんないものの力みたいなのもわたし信じるんですけど、ちゃんと縁がある人とはつながれるなって思うんですよね。出会うべくして、この人と出会ったみたいなこともすごい多いんです。そういうのがほんとに喜びになるので、どんどん行動してみること。すぐ形にならないしすぐ結果に出ないけど、やっぱり自分が心地よいと思えることとか楽しいと思えることは、絶対やっとくべきだなと思いますね。試行錯誤も大事だし、紆余曲折も必要だし、そうやってると、全部ちゃんとつながってくるっていうのはあると思います。

お菓子でもいい素材を使って、ちゃんとした食べ物をみなさんに広めたいっていうのがありますよね。素材から素性の分かったものを加工するとこんなものができるよっていうね、そういうところもちゃんとやっていきたいなって思ってます。

あと、本当にどこまで自給自足できるんだろうか。味噌は今作ってるけど、小麦もやってるから、醤油も作れるんじゃ、って。そしたら、ご自身でも醤油作ったり麹作ったりしてる人と大豆ワークショップで出会えたんですよ。わたしの小麦で醤油作りませんか、教えてくださいよ、っていう話をしたところだったり。ほんとに楽しみながら自分のために作物を作ったり加工したりするっていうことを、もうちょっとやりたいなと思いますよね。今一気に値上げしてきたり、食糧難が来るとか言われてるけど、そういうことがあるとそんなにじたばたしなくて済むんじゃないかなっていうのもあるし、ただ単純に楽しいってのもありますね。

※この記事は、聞き書きの手法によって作成しました。

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