番外編③~さんビズなひと・榎本淳さん

山・人・地域を想いでつなぐ

榎本淳です。僕は生まれが大阪府茨木市なんです。そのあと滋賀、岐阜、姫路に住んで、次に長岡っていう順番で移動してるんです。

小学校の時に遊んでた川がね、高校生になって見たら汚くなってて、それがなんか嫌でね。何でこんな風になっちゃったんだろうなって。それで、大学に入ったら環境問題のことをやりたいと思って、農学部に入った。生産から流通まで何でもやる学科だったから、ここだったら1つぐらいやりたいことがあるだろうと思って、行ったんですね。研究室は、農村計画学。農村の集落に行って、地域の人たちの話を聞いて、どんなことで悩んでますか、これからどんなことをしていきたいですか、っていう話を一つの「計画」にまとめていく。

大学院在学中に関わった住民参加型ワークショップの様子

僕は小学校の自然空間に興味があったから、地域の人たちが学校ビオトープで自然と触れ合ったり、地域の人同士の交流が生まれたり、子どもの環境教育の手助けになったりっていうことが、どうやったらうまく引き出せるかな、地域の活動として続いていくためにはどんなことが必要なのかなということを、ずっと研究してたんですよ。10年間やりましたね。

調査で訪れた千葉県習志野市の小学校にあるビオトープ

<さんビズにつながる垂井での経験>

28歳で博士号を取って大学院を卒業して、その春からNPO法人に就職した。岐阜県垂井町っていう人口2万8千人の町で第1号のNPO法人です。設立記念会で、地域づくりと農業のつながりについての講演があったんですよ。それが、農学部で聞いてた話とまるっきり逆でね。日本人が農業を突きつめれば突きつめるほど、みんなをハッピーにしようとやってることがどんどん世の中を苦しめている、これじゃダメだってことが分かってきた。どこまでできるか分からないけど、この小さい垂井町で何かできるんじゃないかな、少なくとも農地はあるし、水もきれいだし、いい環境が揃ってるから。就職した当時は、手弁当でやってたような団体だから「大変だけど一緒にやりましょう」って言われて。それでも別にね、悲壮感はなくてね。

伊吹山が見える大好きな垂井の景色

就職して5年目に、生活困窮者の支援の仕事を手伝うことになった。そこにいる人たちって、色々な分野の専門家で、一緒に仕事してると、自分は仕事の種類とかゴールの設定がよくないからスキルが積み上がらないんだって気づいて、辞めようと思った。

その前に、藤村靖之先生の「月3万円ビジネス」を読んでいて。慢性的にお金がない問題も解決するし、月3万円でもいいから自分でお金を作れるような事業をやりたいと思ってた。だから、最後の1年間で、収益事業を作ろうってことになって、今までNPOでずっとやってきた国際協力のこと、フェアトレードの事業を立ち上げました。「みずのわ」っていうショップで、お店を出したらもうちょっとフェアトレードに親しむ人も増えるだろうし、生活の中に取り入れられるだろうと思って。
長岡に来てからは、知り合いに相談されたのをきっかけに、フェアトレードチョコを作るイベントをやってます。そういう感じで、今につながってますね。

もう一つ良かったのはね、六斎市。垂井は中山道の宿場町で、かつてはマーケットがあったんですよ。途絶えてたそれを、僕がやりたいって言って、毎月1回出店者を募ってやってたの。

1年過ぎたぐらいで、だんだん客足も減っていくし、何のためにやってるのか分かんなくなってきて。その日は、農家の知り合いが、「ウチの裏山でタケノコ採れたから、並べて売れ」って。小学生の男の子を連れたお母さんがそのタケノコを買って帰ったんだけど、その子どもから、「タケノコがすごい美味しかった!」って書いた手紙が、何日かして事務所に届いたんです。それを見た瞬間に、何のためにやってるかって、自分の町で採れたものをタケノコ育ててるおじちゃんから買ったとか、垂井に住んでて良かったなとか、そういう経験とか思い出を作ってもらうためにやり始めたのに、自分は売上とかお客さんの数とか注目されるかとか、そんなことばっかり気にしてたな、全然違う方向へ意識が行ってたなって思い直してさ。

垂井でこういうことをやったのが自信になったというか、今に生かされてるなって感じてます。

<長岡での暮らしと仕事のはじまり>

かみさんの実家がある長岡に行こうって決めて、でも長岡に行くこと以外は何も決まってなくて。そろそろ就職先を考えないとダメだなって、ネットを見ていたら、今の職場の求人をかみさんが見つけた。採用試験があって、無事に就職しました。6年前だね。

職場では、何も分からない中で、今までやってきたことを教えてもらったり、地域の人に会って話を聞かせてもらっているうちに、最初に手をつけるのはここかなと思ってやり始めたのが、山の暮らしサロン。
岐阜にいた時も感じてたけど、今まで知らなかった人と知り合うとか、自分の価値観と近い人とつながる機会は町中だと結構あるけど、山の中だとなかなか難しい。年齢も偏っているし。だからそこに若い人、田舎に興味がある人が混ざってくるとか、田舎に足を運ぶとか、そういう風にみんなが混ざり合って交流できるような場を定期的に作ったらどうかなって。これは自分にもメリットがあって、サロンをやらなかったらこんなに知り合いはいないだろうな、と思うくらい増えた。

2015年11月に開催した第1回山の暮らしサロンの様子

<長岡さんビズのはじまり>

長岡に来た年の10月末に、鶴岡でやってる月3万円ビジネス講座の発表会があって、そこで初めてリーダーの井東敬子さんに会った。発表会を聞いた時点で長岡でもやろうって決めて、次に会ったときには井東さんに「講師で来てください」ってお願いしたね。

鶴岡で企画運営されている鶴岡ナリワイプロジェクト発表会の様子

垂井にいたときに、6ヶ月600時間の職業訓練講座をやった経験があったから、講座を組み立てられるなっていうイメージはあった。でも1期は手探りだらけだったし、2期までは波乱がいっぱいあったね。3期から講座の中身が安定してきた。絶対外せないのはここだとか、こういう感じで進めたらうまくいくかとか。人数もね、だんだん適正規模になった。

さんビズの元になった基金訓練第1期の訓練最終日

4期からはガツガツ参加者を集めるのはどうかっていう感じがしてきて、5期以降は定員も減らして。ただ、4人以下になるとグループワークが成立しなくなって、お互いの学び合いにならないのはもったいないなって思うので、最低5人までは集めるようにしてます。

今の職場としてのさんビズは、現在進行中の6期で終わりだけど、僕ができない苦手なところを他のさんビズ生にフォローしてもらいながら、みんなで講座を作っていこうかなって思ってやってます。

第6期さんビズ生、スタッフと一緒に

<さんビズの土台にある想い>

さんビズは、藤村先生の本とNPOでやってたことがベースになってるんです。
垂井はすごく地下水が豊富なところで、自分たちが管理すればずっと使い続けられるような資源があるのに、若い人たちはその価値に気付いてなかったり、なくてもいいんじゃないって思ってたり、どう付き合っていいか分からないというのがあって。

今でも日常的に使われている垂井の湧水

僕らが勉強してると、ばあちゃんたちが感心するんだよね。「あんた、何でそんなに詳しいんだ」って。そういう調査とか話をしてる内にね、ただビジネス起こしするんじゃなくて、地域にあるものをうまく使った方がいいなって思った。さんビズが掲げている「中山間地域のビジネス起こし」っていうタイトルの「山」も、僕の中で山じゃないとダメって言ってるわけでもなくて。自然の中で自分たちの身の回りにあるもので自然を生かして暮らしている、みたいな感じの方が日本のどこの地域にでも当てはまるのかなって思ってます。そこから切り離されて3万円稼げたとしても、別にどこでもできるじゃんってことなら、それはさんビズらしいのかな、そこで暮らしてるって感覚が芽生えるのかなっていう疑問はあります。

NPO職員時代には、地域の水資源を巡るまちあるきを企画運営した
大学院在学中には茅葺き民家の保存活用を通して地域文化の掘り起こしを

<さんビズとの接点をつくる>

さんビズは、興味ある人に声をかけたり、人のつながりで受講する人ばっかりなので、新聞を見て来ましたっていうさんビズ生が2人いる2期は珍しいよね。ライフステージの節目だったり、月3万円っていう規模がちょうど良かったっていう理由がある。何かしたいな、でも手弁当だと続かないし、ちょっとお金が回るような仕組みがあるといいなって考えてたら、新聞に記事が出た。
最近は、聞きたい人がいるよってさんビズ生から教えてもらって、説明会を各地でちょこちょことやっていて。説明会をやったお陰で、色んな人に知り合えたり、説明しないと伝わんないことがあるんだとか分かってきた。すごくいい経験だね。

上越市で開催したさんビズ説明会の様子

<聞き書きでさんビズ生の想いを伝える>

さんビズ生の活動について聞いて冊子にまとめるときには、「聞き書き」の手法を使ってます。聞き書きは2005年か2006年から知っていて、その時は、ふーん、こんなのあるんだ、くらいの感想だった。
長岡に来てから、人材育成をやらないとダメだと思ったの。サロンやって、さんビズやったら、次はその先の世代、これからの人たちのための人材育成だって。山が全部学校、教材ですよっていう意味で「やまのがっこう」って名付けて、連続講座をやった。山から何を学べるのか、という話をしてもらった3人の講師の一人が、聞き書きの話をしてくれた澁澤寿一さんだったんです。澁澤さんの話を聞いて、やっぱり聞き書きをやりたい、やるべきだってピンと来て。本気でやってみたら、やってもやらなくてもいいものじゃなくて、これは僕がやる仕事だなって感じがした。そんなに腑に落ちた仕事ってないんだよね、これまでに。すごい手法だと思ってます。

長岡市小国地域で開催した聞き書き講座の一コマ

<聞き書きから得られる学び>

学生の頃は、本当に人生フラフラと、自分の好きなことしかしなかった。でもいつかな、30過ぎてからだと思うんだけど、自分が今までやってきたこととか、これから自分が作りたい世の中とかを受け継ぐ先があるとしたら、自分の子どもがいいと思ったわけ。やだって言われるかもしれないけど。その子どもに僕が持ってるエッセンスみたいな何かを死ぬまでに伝えたいというか、そういう感覚ができたのが僕の中で大きかったかな。それが、さんビズとかさっき言った人材育成みたいなとこと繋がってるなと思う。

聞き書きは、違う世代で聞き合うと、絶対に学びがある。何も学ばないということはないし、作品が残る。同世代はそれなりに面白いだろうけどね、想像できないことがあんまりない、大体分かっちゃう。でも、80代のじいちゃんに山の話を聞くと、言ってることが分からないわけ。何でそうなるの、みたいな。そういう話が聞けるのは、すごいカルチャーショックだし、そこから学ぶことってすごく大きいと思う。やり方さえ身につければ、中3くらいから誰でもできる。いつか自分の息子にやってもらう、そういう楽しみがあるよね。

自然は子どもにとって最高の学びの場

<さんビズのこれから>

これからは、やまのみのり舎という団体で活動していきたいです。さんビズをやることで、働き方とか暮らし方とか地域の仕組み自体を変えていきたい。次の世代が学ぶために、どんな場所を子どもに提供できるのかとか、大人はそこでどういう役割を果たすのかとか、地域はどんな仕組みで動いていればいいのかとか、どういう価値観を大事にすればいいのかとか、そういうことを一緒に考えていかなくちゃね、みんなで。他のさんビズ生にも、そういうことをやりたいっていう人がいて。山に関係することだとか、地域のためだとか言わなくても、みんなそういう想いで受講してきていて、その先がつながってる。

さんビズ講座で講師をつとめる榎本さん

さんビズの一番コアな部分がちゃんと伝えられていないと、それってスモールビジネスなの?って感じる活動もある。でも、どういう暮らしをしたいと思っているのか、その暮らし全体の中でさんビズの位置づけがあるさんビズ生は、さんビズを1つ作った人よりもビジョンが見えてるっていうか、進んでいると思う。だけど、3万円っていう利益だけを見てる人には、多分そうは見えない。それをどうやって伝えていくのかが、これからの僕の宿題なんです。

さんビズ生に聞き書きをする榎本さん

※この記事は、「聞き書き」の手法によって作成しました。

(聞き手:佐藤潤[柏崎さんビズ生]、佐藤美保子[さんビズ3期生]、阿部美記子[さんビズ2期生])

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